☆AA印の悲しみ



昨日はOさんとのマンツーマンでのヨガだった。

いろいろな話をしながらのヨガの時間。

初めてバンドネオンというものを知った時のことを話してくれた。
それはある映画の中のワンシーンだったこと。
その映画は俺も映画館で観たものだ。25年くらいまえの話だけど。
印象的だったのでどんなシーンだったかを思い出して話したら、よく覚えていますねと喜んでくれた。

それからその楽器を求めて出会うところまでの話がとてもよくて俺は嬉しい気分になった。
何も分からず踊りに惹かれて天使館の門を叩いた日のこととかと重なる。

話しすぎないように気を付けてヨガもちゃんとした。
内側が静かな安定した呼吸が続くことに感心させられた。


ヨガの時間が終わった。

クロゼットから親父のバンドネオンを引っ張り出してみた。
何年ぶりだろう。
親父も弾かずじまいだった楽器だ。

Oさんにすこし弾いていただこう。

では、と軽く動かしながら、
「うん、壊れてはいませんよ。少し直せば弾けますよ。」
母も呼んだ。「まぁ、素敵だこと。」
「少し空気が抜けるけど蛇腹は破けてないし。。」

ジャワーン!
ジャツツジャツジャツ ジャツツジャツジャツ。

わ!リベルタンゴだ。
すげえ!
うちのバンドネオンでタンゴが奏でられた瞬間だ。
小気味よく和音とリズムが刻まれ、メロディが歌う。
すげえ。かっこいいわ。

母も感激しきりだ。
ごく若いころから親父とタンゴを聞き続け、タンゴバーに出入りしてはワインやコーヒーを飲んだりして遊んでいたのだろう。
その影響で俺たち兄弟も小さな頃からタンゴを聴いていた。知らないけどリズムが鳴ればその曲はわかる。それで後年自ら聴きあさるようになった。デカロ。カナロ。リベルテーラ。ディサルリ。etc etc。


何か知っている曲をとシャンソンも弾いてくれた。母感激。
それからピアソラのデカリシモを弾いてくれた。なんてこった。俺も感激。




コーヒーを淹れ、しばし歓談。楽しい時間だった。
Oさん、ありがとうございました。
うちらにとっては何とも特別なできごとでした。


ピアソラは19で知った。
一人暮らしを始めた年だ。
アヴァンギャルド、即興音楽に傾いていた。
間章という人が「興味のある音楽家は小杉とピアソラだ」と言っていたのを知り、俺はピアソラの存在を知った。
兄貴に聞くと「、タンゴだよ。親父も好きだった。いや好きじゃなかったか。」みたいなことを言っていた。
当時、池袋西武の地下の本屋の片隅にあったart vivantなるCD売り場があった。
そこで買ったCDがピアソラのLive in Wien。
これは生涯の1枚になったアルバムでいまでも常に持ち歩いている。
奇跡の録音だ。音楽の、芸術の何たるかを教えてくれた演奏が収められている。
Tristezas de un Double A。
AA印の悲しみ。という曲がある。


バンドネオンという楽器は西ドイツでしか作られていない年代があった。
その頃に作られた名器にDouble A、AAとサインのされたものがあるそうだ。
ずっと昔にNHKのテレビで知った。
いつだったか、兄貴と、うちのバンドネオンはDouble Aじゃないか?と楽器を開けて調べたことがあったっけ。俺一人でだったっけ?そしてAAの文字を確認したような。そんな記憶があるのだよ。
で、きのうOさんが楽器の螺子を緩めて開いてくれた。
527Rという鉛筆による字が2か所に見つけられたがAAなる字はなかった。
あの記憶は何なのだろう?兄貴と酔って何かした勘違いか。俺一人の幻か。
でもはっきりした記憶があるから俺はもう一度だけあの楽器の中をのぞいてみたいと思う。


CDもレコードもほとんど持っていない。みんな手放してしまった。
それでも手元に置いてある数枚のうちの1枚が。ピアソラのive in Wienだ。
鈴木町の書庫に保管してあったのだけど、うちキバコ96に置くことにしよう、と持って帰ってきた。
どの棚が合うかな。
あ、あそこがよさそうだな。
と置いてみたらそこにはAという鉄のプレートが2枚飾ってあった。
terraの以前に屋号を alleluiahといっていた頃に使っていたものだ。


AA印は俺にとって縁の深い特別なものであるのだろう。