チネイザンのセラピストが来てくれた。
チネイザン協会で学んだ方で100個のケーススタディを取る過程で、俺はモニターとして施術を受けた。
他の人のチネイザンを受けられるなんて勉強になる貴重な機会だ。
すごくよかった。
俺はチネイザンが好きで、これまでも受ける度によい体験をしている。
といっても何か特別な神秘体験みたいなことだとは思わないで欲しい。
半分夢を見ながら、今という現実も自覚していて、二重の時空のあわいにいるようなのだ。ここがとても気持ち良い。
これは施術家の技術によるものなのか。
チネイザンというシステムをお腹に施すことで誰にでも起こることなのか。わからない。
個人差があるもので俺が特にそういう体験をする人なのか。
わからない。
わからなくてよいし、意図するものではないと思う。それは施術する側も。
人はチネイザンに何を求めて受けるのだろう。
俺は人のお腹を触ってもその人の何か深い所のことなど分からない。
いや、何かを感じこともあるかもしれないが、それを伝えたりはしない。
ハッキリとした具体的なことで伝えた方がよいことは言うかもしれないが、
前世とかカルマとか霊とかいう言葉を使ったことがない。
人に呪(しゅ)をかけることを嫌う。
受けた言葉によって人は呪にかかることになる。
俺はそれを避ける。
そんな俺はスピリチュアルを嫌う。
ほとんどのスピリチュアルに違和感を感じる。なんかオカシイ。
スピリチュアルで違和感を感じないものがあれば面白い。ほんものだ。
ほんものは、ほんものだ。
俺は自分のしている施術で何が起きているか、実際のところわからない。
チネイザンも推拿もタイ古式も追及の道は続く。一匹狼で。
肚。へそというのは不思議なものだ。

























































