☆カレーを手で食う ということ




俺はインドに行ったことがない。
インド政府が認可したヨガインストラクターであるにもかかわらずだ。オカシイでしょ。
このインストラクター資格を取るために、昔は、世界中からインドに行き、英語で講義と試験を受けて授かるヨガ教師の資格だったが、いまは日本で日本語で学べるようになっている。ありがたいことだ。

これまでに、インドへ訪れたいと思ったことは一度もなかった。
何故かはわからないが、行った人の傾向があまり好きではなかったというのは大きいかもしれない。自分の知っている範囲での話だが。
ヒッピーな感じというのは合わない。レゲエ的なのも合わない。
そして直接関係ないことかもしれないが、俺は絶対に薬物と関わらない。
ナチュラルだとかいわれる大麻も絶対やらない。これは初めから決まっていたこと。
タバコも酒もやったがドラッグは知らない。
二十歳前後にバイトしていた店はRockerばかりで、みんなキメていた時期もあったが、俺一人シラフだった。
だから、一回でもそういうことをしたことがある人とは何かが全く違う。

こんなところで威張っていてもしょうがない。

ヨガの指導者をしているのだもの、一回くらいインドに行っていたっていいんじゃないですか?
確かに。

実は最近、インドに行ってみたいと思うのだ。
どこか有名なアシュラム(道場)でヨーガ修行をするために。
ではなく、本場のカレーを食い歩きに赴きたいと思うのだ。わはは。南インドに行ってみたい。

最近ヨガに現れたYさん。
この人がめっぽうカレーに詳しい。相当食っている。
俺が最近気になっているあちこちの店の名を振ってみる。
知っています。あ、美味いすね。行きました。あ、行きました。
と、悉く食っているのだ。すげえなあ。

で、聞いてみた。
Hさん、手で食ったことはありますか?
ありますよ。店に入って店員がムコウの人なら手で食べます。
へえ、どんなモンすか?
ま、店員は喜んでくれますね。あとなにしろライブ感があります。
わぁ、いいなぁ~。俺もライブ感欲しいな。どっか行って手でカレー食いたいわ。


よし、家でやってみよう。

どうせ毎日カレーみたいなものを食っているのだ。手でいこう。


ブタコマと人参・ジャガ・タマゴのカレー

人生初のカレー手食い
うん、うまい

ドンドン混ぜながら右手だけを使う
案外こぼさず綺麗に食えるもんだ

朝にたくさん作るカレー
半分は昼の飯にのせておく
でアツアツの半分は朝に食う

昼になれば冷めているから手でイケル
今日のはトリとセロリか


モモコは手も使わず口だけで食う
タイカレー
トリモモとシメジのココナッツカレー
最高だ

バリ島は手で食っていたとAに聞いたが
タイの人はどうなのだろう
 
辛味噌キーマカレー
うちのカレーはふんだんにスパイスが入っている
クミン・コリアンダー・フェンネル・フェネグリーク・
カルダモン・コショウ・クローブ・シナモン

これらが大体入る

今日は久しぶりにマサラも足したので更にスパイシー

冷めて尚うまい




と、一週間、昼のカレーを手で食べてきた。
どんな印象かというと、いつもより消化が良い感じがする。
これは普段の俺の食い方が早すぎるのでもあるが。スプーンだと口いっぱいに頬張る。
口の中マンタンに詰め込んで食うというのは一種の快感でもあるのだ。
消化に負担がかかるということがある種の刺激として快感に結びついているのかもしれない。
早食いだから飯のあとはいつも少し苦しい。
手で食うと、この苦しさがない。いくらかゆっくりペースになっているのだ。
これはいい。味わえるし。
食後の苦しさがないというだけでなく、体の感じがどこかナチュラルなのも特徴だ。
上から下まで体に詰まりがない。気が通っている。

気の滞りが病気を生むと考えると、これはいいことだな。続けてみよう。

思い出した。
「自分の内臓の感覚がわかりますか?出たウンコを手で握ってみてください。それが内臓の感覚です」
天才生物学者の三木茂夫氏のコトバだ。
俺はこの実験はしたことがないのだが、感覚はなんとなく分かる。
この話を思い出した。

手で食事をしてみて思った。
人間です、みたいな顔をしているけど、人間てホントはけっこう原始的な生命体なんじゃないの?と。
これは手。ここが頭。あれは壁。これは君。
と決めているけど、昔々の生まれたての俺にはあれもそれもなかった。自分もなかった。世界と一つだった。世界は俺だったし、自分というのは輪郭もなく無限の広がりをもっていたのではないか。

ポーズ中にたまにする説明で、関節のない体という表現があるが、これってミミズみたいな生き物になるのだろうか。
食物を口から摂取し、消化管を通過し、反対側から排泄する生き物。
ある意味人間もこのようなシンプルさを持っているような気がした。

咀嚼というものには深い意味があるのかもしれない。
体の外側にある異物(食物のこと)を口の中で滑らかに壊してから体内に取り込むという行為。
自然的な素材の4つの形態は地水火風だ。
地というのは鉱物的な素材。ようするに固形。固体。
水というのは水。水分。液体。
風というのは空気。気体。
火というのは熱。あたたかさ。

体の外側で4素材がバラバラの塊としてある食物を、歯という鉱物素材と、唾液という水分、体熱という火、呼吸という風で練り、ミックスする作業が咀嚼にあたるのだろう。

噛まずに食べる俺も、敢えてよく噛んで食べると、これはこれで咀嚼するという快感もまた感じられるものだ。

スプーンを使っての食事でも咀嚼はする。
手による食事でも咀嚼はする。
しかしこの2つには微妙な違いがあるように感じる。

スプーンでのカレーは混ぜる人も混ぜない人もいる。混ぜても金属か木材のスプーンだ。
インド人の手による食べ方は皿の上でよく混ぜる。手で。
俺も手でよく混ぜて食べた。

この、口に入れる前に、皿の上で自分の手で混ぜるという行為は、体の外で既に咀嚼というプロセスを踏んでいるのことになるのではないだろうか。
まだ体の外にある段階で、体と食物を一度練っているので、口の中での咀嚼は一段階進んだ状態で行える。だから体内にスムーズに吸収されてゆく。

そういう効果があるような気がした。
毎日やってみてその感じはリアルだ。
ま、おかしな俺のいうことだから、正しいかどうかはわからないが、もしそれがホントだとしたら、それを直観的にやり続けたインド人やアジアやアフリカの人たちは偉大だ。

普段は綺麗に人間ぽく生きている私たち。
しかし裸足で大地に立ち、歩き、ヨガをするだけでも自然的な力・大地的な力を感じるものだ。
毎日毎日続く食事というもの。
これに関しても、もう少しワイルドに向き合ってみてもいいんじゃないか?




毎年この時期は
こういう民族音楽を聴く率が高くなる
アフリカ、南米、そして西インド諸島
これはカメルーンの森、ピグミー族の音楽